[dropcap]ヒ[/dropcap]マーラヤ山脈の避暑地というと、ダージリン、シムラー、ナイニータール、マナーリー、マスーリーなどが思い浮かぶ。ヒマーチャル・プラデーシュ州西部、チャンバー峡谷の入り口に位置するダルハウジー(標高2,036m)も避暑地のひとつだが、上記の人気避暑地に比べたら幾分知名度の低い場所であろう。チャンドラ・ボース所縁の地のひとつであるダルハウジーは、酷暑期でも「ゴマを置く場所もない」ほど混雑はしない。そのダルハウジーからさらにチャンバー峡谷の奥へ入っていくと、今度はチャンバー(標高996m)に出る。チャンバーは、北インドで最も長く続いた王朝のひとつ、チャンバー王国の首都だった町だ。ラーヴィー河を見下ろす高台に位置しており、マイダーンと呼ばれる広場を中心に広がる美しい古都である。インドの山間の町には、西はヒマーチャル・プラデーシュ州から東はナガランド州まで、必ずと言っていいほど人工的に建造された平らな広場が存在する。これはやはり、山の民にとって平地がいかにステータスであったかを示しているのだろう。チャンバーは、傘をかぶった石造寺院が林立するラクシュミー・ナーラーヤン寺院や、ユーモラスな両面刺繍ハンカチで有名である。そのチャンバーからさらにラーヴィー河を65kmほど遡っていくと、チャンバー王国の初期の首都であるバルマウル(標高2,195m)に到着する。かつての首都とは言え、今では谷に突き出た山ひだのなだらかな斜面に乗っかった小さな村に過ぎない。
バルマウルは、かつてブラフマプルと呼ばれていたらしい。ブラフマプラは6世紀頃にアヨーディヤー王家の末裔によって建造されたと言われているが、この地の歴史はさらに古いとも言われている。伝承によると、バルマウルは元々、ブラーフマニーという女性が所有する庭園であった。ブラーフマニーには1人の息子がいたが、その息子はある日、ペットとして飼っていた小鳥を農民に殺されてしまい、ショックのあまり死んでしまう。そしてブラーフマニーも息子を失った悲しみにより焼身自殺をしてしまう。以後、ブラーフマニーの怨霊がこの地に数々の災厄をもたらすようになったため、地元民は彼女の魂を鎮めるために寺院を建立した。こうして、ブラーフマニーは一転して女神としてこの地を守護するようになり、村も彼女の名を取ってブラフマプラと呼ばれるようになったと言う。ともあれ、バルマウルは920年にチャンバーに遷都されるまで、チャンバー王国の首都として栄えた。
バルマウルの歴史の生き証人は何と言っても村の中心部にあるチャウラースィー寺院である。チャウラースィー寺院群には、マニマヘーシュ寺院やヌリスィンハ寺院など、9~10世紀建立の古い寺院が立ち並んでいる。石造りの砲弾型寺院の上に木製の傘がチョコンと乗っかった、ヒマーラヤ地方特有の様式の寺院である。だが、それよりもさらに特筆すべきなのが、マニマヘーシュ寺院の隣に建つラクシュナー女神寺院である。一見地味なドゥルガー女神寺院であるが、この寺院の主要部分はなんと木造。西暦700年頃の建造で、本当かどうか分からないが、木造部分は全てオリジナルだと言う。もしそれが真実だとすると、このラクシュナー女神寺院はインドに現存する最古の木造建築のひとつだということになるだろう。しかも、インド各地に残る石造寺院と同じく、入り口から柱から天井までビッシリと彫刻が施されており、芸術的レベルもかなり高い。カジュラーホーなどで観られるミトゥナ像(男女像)も見受けられる。
チャウラースィー寺院群の境内にはアルド・ガンガージー(半ガンジス河)と呼ばれる小川が流れており、水源となる小さな泉もある。この泉は1年を通して一定の水位を保っているのだが、不思議なことに、ジャナマーシュトミー(クリシュナの誕生日)とラーダーシュトミー(ラーダーの誕生日)の日だけ水量が増加するらしい。
ところで、チャウラースィーとは84という意味である。その名の通り、ここには合計84の寺院があったと言われているが、今ではそんなに多くの寺院は見当たらない。だが、実は境内の地下にさらに多くの寺院が埋まっているらしい。そして今までに2度、それらの寺院を掘り起こすための発掘作業が行われたという。だが、最初は発掘を始めた途端、豪雨に見舞われ土砂で埋もれて中止となり、2度目はアルド・ガンガージーの源泉が急に溢れ出て大洪水となり、やはり中止となってしまった。ちなみに、発掘をやめた途端に泉の水は元に戻ったと言う。これら2度の超常現象が地元民の恐怖を煽ったのであろう、今のところ発掘調査が再開される予定はないようだ。境内の地面は、以前は土だったようなのだが、今では石畳が敷き詰められてしまっている。
これらのエピソードだけでもバルマウルが何か神秘的な地のように思えてくるが、それをさらに決定的にするのが、ダルマラージ寺院とチトラグプタ寺院の存在である。これらの寺院もチャウラースィー寺院群の境内の中にある。地元の人々の信仰によると、なんとバルマウルは「天国」であるらしい。山間にある美しい村だから、とかそういう陳腐な理由で「天国」を自称している訳ではない。文字通りここが「天国」だと考えているのだ。その根拠がこのダルマラージ寺院とチトラグプタ寺院である。ダルマラージとは正義と真実を司る神であり、死後の人間の魂に裁決を下して、天国行きか地獄行きかを決める役割を果たす。チトラグプタとは書記官のようなもので、人間の生前の所行を逐一記録しており、裁決の前にそれを読み上げる役割を果たす。チトラグプタは、中世から近世にかけて官吏を務めてカーヤスト・カーストと呼ばれるコミュニティーを形成した人々が信仰する神様でもある。また、ダルマラージと同じような役割を果たすと考えられている神として、冥界の王ヤマが挙げられる。日本の閻魔様のモデルになった神だ。ダルマラージとヤマは同一視されることも多いが、厳密に言うならば、ヤマは死んだ人間の魂をダルマラージの前まで引っ張って来る警察のような存在であるらしい。「マールカーンデーヤを救うシヴァ神」の神話や、ヒンディー語映画「Vaah! Life Ho Toh Aisi!」(2005年)などからもそれがよく分かる。最終的に魂に裁決を下すのはダルマラージだ。ダルマラージを祀った寺院は、今のところここバルマウルと、ウッタラーカンド州のリシケーシュでしか見たことがない。チャウラースィー寺院群のユニークな点は、ダルマラージ寺院に向かい合うような形でチトラグプタ寺院が建っていることである。さしずめ、裁判長席と検事席と言ったところか。
ダルマラージ寺院のご神体は、シヴァリンガのような形をした真っ黒な図体の像で、眠たそうな目が2つ付いており、チトラグプタ寺院の方をボーッと眺めている。
一方、チトラグプタ寺院は、寺院とは名ばかりで、赤い柵で囲まれた、半畳ほどの一角である。柵の中には、足跡のようなものや、ちょっとした突起のようなものがあった。何も言われなければ全く見過ごしてしまっていただろう。
だが、地元の人に「ここは天国だ」と言われた瞬間、下界から魂が、ダルハウジーやチャンバーを通り、次々にバルマウルまで上って来て、このダルマラージ寺院の前に立ち、チトラグプタ寺院の隣で宣告を受けている様子が目に浮かんで来た。実際、地元の人々はそう考えているのである。死後の魂は皆、このバルマウルに来ると信じているのである。とすると、チャウラースィー寺院群は実は天国の縮図なのだろうか?寺院群のど真ん中を流れるアルド・ガンガージーというのは三途の川なのだろうか?そして地中に埋まっている寺院というのは地獄なのだろうか?そのようなことを考えている内に何か、天国に来たことに対する幸福感と同時に、もう下界には戻れないような寂しさを感じた。こんな不思議な感覚に襲われた地は、「神秘のインド」広しと言えど、ここしかなかったかもしれない。バルマウルは、天国を抱く村なのである。
この記事は、インド通信(第339号 2007.1.1)南アジア地誌事典に投稿した「天国を抱く村、バルマウル」に若干の修正を加えたものです。