ジャイナ教のサッレーカーナーは自殺か?

[dropcap]2[/dropcap]015年8月11日付けのタイムズ・オブ・インディア紙に、ラージャスターン州高等裁判所がジャイナ教徒のサンターラー(Santhara)を「自殺」と認定し、違法と判決を下したとの記事(Jain practice of Santhara suicide: HC)が掲載されていた。

 ジャイナ教やインドの刑法を知らない人にはチンプンカンプンのニュースであろう。ひとつひとつ説明して行く。

Shravanavelagola

 

 ジャイナ教は、仏教誕生と同時期にマハーヴィーラによって開かれたとされる宗教である。厳格な不殺生主義を採っており、インドの数ある宗教の中でも戒律が最も厳しい。大きく空衣派(ディガンバル)と白衣派(シュエーターンバル)に分かれており、特に空衣派の聖者は丸裸なのでインドの街中でも一際目立つ存在だ。とは言っても、たとえインドに住んでいても、滅多にお目に掛かれないが。上の写真はカルナータカ州にあるジャイナ教の聖地シュラヴァナベラゴラ(Shravanavelagola)にある聖者バーフバリ像だが、やはり裸である。

 ジャイナ教徒の人口はインドの全人口の内のたった0.4%。それでも、在家のジャイナ教徒はヒンドゥー教徒と同化していることが多く、目立たないだけで、よくよく聞いてみると、「あの人も、この人も、ジャイナ教徒だったの?」という感じで、意外にそこら中にいる。また、外国人がよく接するインテリ層--教師や銀行員など--にジャイナ教徒が多いので、余計にジャイナ教徒の数が多く感じられるということもある。

 ちなみに、インド在住時代、最初に下宿した家の大家がジャイナ教徒であった。もちろん菜食主義者であったが、意外にテナントには寛容で、一時期などは肉しか食べないアフリカ人も住まわせていた。それでも、ジャイナ教徒の大家は概してテナントにも菜食主義を強要することが多く、外国人には人気がない。

 厳格なジャイナ教徒になると、ニンニクやタマネギなどの根菜も食べない。地中で育つ野菜は、掘り起こすときに小さな虫を殺してしまうかもしれないから、というのがその理由だ。ジャイナ教徒が多いグジャラート州では、レストランにそんな厳格なジャイナ教徒用のメニューが用意されている。また、彼らは誤って飛ぶ虫を食べないように、口の前に布を垂らし、歩く前に進行方向をホウキで払って、地上を這う生き物を踏み殺さないようにしている。呆れるほどの徹底的な不殺生主義だ。

 さて、サンターラーとは、ジャイナ教徒のムニ(出家者)が行う苦行の一種である。徐々に食べる回数や食品の種類を減らして行き、最後には完全に食を絶って死に至るという、緩やかな断食である。サッレーカーナー(Sallekhana)とも言う。どうやら呼称の違いは宗派の違いから来ており、白衣派がサンターラーと呼び、空衣派がサッレーカーナーと呼ぶようだ。ジャイナ教徒のムニは、まずは家を捨て、次に所有物や煩悩を捨て、最後に自らの体を捨てる。これは、輪廻転生の鎖から解き放たれ、解脱を得るために最も重要なステップだと考えられている。

 サッレーカーナーについては、インドフィレ英国人作家ウィリアム・ダルリンプルの「Nine Lives: In Search of the Sacred in Modern India」(Bloomsbury)に収録されている「The Nun’s Tale」が詳しい。また、オムニバス映画「Ship of Theseus」(2013年)にもサッレーカーナーを行うジャイナ教ムニのストーリーがある。「Nine Lives」でサッレーカーナーの方法について説明した部分を翻訳し抜粋する:

 (サッレーカーナーでは)全てのステージにおいて経験豊かなマータージー(女性の宗教指導者)またはグル(導師)のガイドを受ける。いつ、どのように食べ物を放棄するのか、全ては前もって計画されている。常に誰かが付き添い、世話をする。誰かがこの道(サッレーカーナー)を選んだということは、コミュニティーの全ての人々に知らされる。まず1週間に1日、断食をする。次に2日に1日だけ食事をする。ある日食事をしたら、次の日は断食をする。ひとつひとつ、違った種類の食べ物を放棄して行く。米を放棄し、果物を放棄し、野菜を放棄し、ジュースを放棄し、バターミルクを放棄する。とうとう水しか取れなくなり、それも2日に1回になる。最後に心の準備ができると、水すらも放棄する。もし徐々にやっていけば、全く苦しみはない。体は落ち着き、内部の魂に集中して悪いカルマを消し去ることができるようになる。(P.6)

 このように、サッレーカーナーはジャイナ教にとって非常に重要なサードナー(修行)なのだが、今回、裁判所によって「自殺」とされてしまったのである。ダルリンプルも著書の中でジャイナ教徒の尼に「サッレーカーナーは自殺ではないのか」と質問している。それに対する答えは以下の通りである:

 サッレーカーナーは自殺ではない。・・・自殺は絶望の結果であり、重罪だ。しかしサッレーカーナーは死に対する勝利、希望の表現である。・・・私たちは、死を終わりだとは考えていない。生と死は補完的なものだと信じている。だからサッレーカーナーは新しい生を受け容れることを意味する。ひとつの部屋から別の部屋へ行くようなものだ。(P5)

 これは宗教上の考え方で、もちろん尊重されなければならないものだが、現代社会ではなかなか認められない。むしろ、今まで認められていたことの方が不思議であり、こういう問題が今になって表出して来たということは、インドの現代化・合理化が進んでいることを意味していると思われる。

 ところで、インドで自殺未遂は犯罪である。これは、インド刑法(IPC)第309条に明記されている。

Attempt to commit suicide: Whoever attempts to commit suicide and does any act towards the commission of such offence, shall be punished with simple imprisonment for a term which may extend to one year 1[or with fine, or with both].

自殺未遂:自殺をしようと試みた者および同様の違反を行おうとした者は、1年以下の単純禁固、もしくは罰金、もしくは両方に処せられる。

 「自殺」を完遂してしまったら、自殺した本人はもうこの世におらず、罰することができないので、「自殺未遂」が犯罪として規定されている。また、自殺教唆もIPC第306条で犯罪とされている。こちらは10年以下の禁固刑となっており、自殺未遂よりも重い。

 どうやら裁判所がこういう判決を下した背景には、人権活動家による公益訴訟(PIL)があったからのようだ。もちろん、ジャイナ教徒コミュニティーはこの判決に反発しており、最高裁判所に上訴する予定のようだ。

 普段、ニュースに取り上げられることが少ないジャイナ教が珍しく問題の渦中になっており、その行方が大いに注目される。IPC309の撤廃を求める声も以前からあり、今回の問題でそれが再燃しそうだ。

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