[dropcap]イ[/dropcap]ンド人の好む三大話題は、政治、映画、クリケットと言われる。「世界最大の民主主義国」と称せられるインドにおいて、選挙は、中央のものであろうと地方のものであろうと、常にお祭り騒ぎである。政治家たちも個性豊かで、毎日誰かが何かをしでかしてくれるので、話題に事欠かない。大スターが主演する映画が公開ともなれば、テレビを付けようとラジオを鳴らそうと、どの番組でも、津波のごとくその映画のプロモーション映像が押し寄せる。インド人は10億総映画評論家であり、皆、自分が一番映画に詳しいと思い込んでいる。クリケットはサッカーに次いで競技者人口が多いスポーツと言われるが、何のことはない、世界第二位の人口を誇るインド人の多くがクリケット狂であるため、自動的に競技者人口も膨れあがる。国際マッチから国内リーグまで、年がら年中試合が行われており、人々は勝敗に一喜一憂する。宿敵パーキスターンとの試合ともなれば、誰も仕事に手が付かなくなる。
これら3つの相互関係も強固である。映画スターが、映画で培った人気を票に変えて政治家に転身することは珍しくないし、選挙期間中に特定の政党や政治家の応援に回ることも多い。映画スターがクリケットチームのオーナーになる現象もすっかり定着しており、映画界とクリケット界の結びつきは既に切っても切れないものとなっている。インドのクリケットを統治するインド・クリケット管理委員会(BCCI)は、元クリケット選手以上に政治家たちによってその運営が牛耳じられている。政治、映画、クリケットは、単なる話題に留まらず、三位一体となってインドの社会を包み込んでいる。
ところが、面白いことに、インドにおいて――安全を期すためにより限定して言うならば、ヒンディー語映画界において――クリケットを題材にした映画というのは、興味深いことに、成功率が低いことで知られている。4月30日付けのデリー・タイムス紙に、その件についてよくまとまった記事が掲載されていたので、今回はそれを元にまとめ直してみた。
まず、今回の話題はあくまでクリケット映画であって、スポーツ映画全般ではないことを明確にしておかなければならないだろう。ヒンディー語映画界では長年、「スポーツ映画はヒットしない」というジンクスがあったが、それは既に打ち破られていると言っていい。女子ホッケーの「Chak De! India」(2007年)、陸上競技の「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年)、女子ボクシングの「Mary Kom」(2014年)など、スポーツを題材にしたヒット映画は何本も出ており、スポーツ映画がヒットしないという法則は成り立たない。その中で、なぜかクリケット映画だけはヒット率が極端に低いのである。
現在、ヒンディー語映画界で作られているクリケット映画の失敗の系譜を辿っていくと、どうやらデーヴ・アーナンド監督、アーミル・カーン主演の「Awwal Number」(1990年)に行き着くようだ。人気監督と人気スターが揃い、インド人の人気の高いクリケットを題材にした映画がヒットしないはずがないと考えられたが、蓋を開けてみたら大コケであった。
ハリー・バーウェージャー監督の「Victory」(2009年)も大コケしたクリケット映画として歴史にその不名誉な名を刻んでいる。主演は監督の息子ハルマン・バーウェージャー。一時はリティク・ローシャンのコピーと呼ばれていた男優だが、今では鳴かず飛ばずで、ほとんど話題にも上らなくなった。「Victory」には、50人以上の現役クリケット選手が起用され、世界中の著名なクリケット・スタジアムで撮影が行われたのだが、制作費を回収できないほどのフロップとなった。
この他にも、「Stumped」(2003年)、「Chain Kulii Ki Main Kulii」(2007年)、「Hattrick」(2007年)、「Say Salaam India」(2007年)、「Dil Bole Hadippa」(2009年)、「Patiala House」(2011年)など、数々のクリケット映画が興行的に失敗し、散って行った。それでも映画とクリケットの組み合わせを簡単には諦められないのか、2016年には「Azhar」、「MS Dhoni: The Untold Story」、「Sachin: A Billion Dreams」と、3本のクリケット映画の公開が控えている。どれも実在のクリケット選手の伝記的映画になるようである。
これだけクリケット映画の屍が累々と築かれているにもかかわらず、クリケット映画への飽くなき挑戦が続いているのは、やはり、過去に例外的に大ヒットしたクリケット映画があったことも少し関連しているだろう。そう、「Lagaan」(2001年)である。時代劇とクリケットを組み合わせた、当時としては画期的な映画であり、興行的にも批評的にも大成功を収めた。同年度のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたことも、現在まで語り草となっている。ヒンディー語映画の歴史は、「Lagaan」以前と「Lagaan」以後に分けられるとまで言われている。まさにエポック・メイキング的な映画であった。
「Lagaan」の他にも、「Iqbal」(2005年)という映画が、クリケット映画としては異例のヒットとなっている。また、日本でも公開された「Ferrari Ki Sawaari」(2012年)も興行的に「アベレージ」の評価となっており、失敗作とは言えない。このように、クリケット映画でも成功を収めた作品は少数ながら存在する。ただし、どの作品も、クリケット以外の部分で多くの魅力があった映画であり、純粋なクリケット映画として成功した作品となると、もしかしたらひとつもないということになってしまうかもしれない。
記事では、インドでクリケット映画が流行らない理由についても分析されている。サルマーン・カーンの言葉が引用されているが、曰く、「スクリーン上のクリケットは偽物に見える」とのことである。言い得て妙であろう。インド人は、実際のクリケットの試合において、それこそリアルなドラマを何度も見て来ている。最後の一球まで勝敗が分からない試合などザラにあるし、それが、もっともヒートアップする印パ戦においても、平然と起こり得る。現実ほどドキドキするものはない。
クリケット映画を作ろうとする場合、監督は、そういうハラハラドキドキの展開をスクリーン上で再現しようと腐心する。だが、目の肥えたインド人たちには、そういう試合展開が偽物に見えてしまうのである。そもそも、正常な知能のある観客ならば、映画において、最後に勝つのは誰か、最初から分かっているものだ。現実の興奮をどうやって劇場に持ち込むことができよう。また、いかに俳優が運動神経に優れていたとしても、実際のクリケット選手のような身のこなし方を演じるのは難しい。この点でも、普段から世界レベルのクリケット選手を見慣れているインド人の観客の厳しい視線を克服するのが難しい。よって、クリケットの試合を最大の見所に据えた映画は、インド人の心を掴まないのだ。
ついでに言えば、過去に俳優デビューしたクリケット選手が何人かいるのだが、成功した者は一人もいない。1990年代に活躍したクリケット選手、アジャイ・ジャーデージャーは、八百長疑惑によって5年間の出場停止処分となり、活躍の場をヒンディー語映画界に求めた。彼は「Khel」(2003年)や「Pal Pal Dil Ke Saath」(2009年)に出演したが、全く評価されなかった。やはり1990年代に活躍したヴィノード・カーンブリーも、引退後に「Annarth」(2002年)や「Pal Pal Dil Ke Saath」などに出演したが、俳優として成功はしなかった。もう一人、後に俳優デビューした1990年代のクリケット選手がいる。サリール・アンコーラーである。彼は、「Kurukshetra」(2000年)、「Pitaah」(2002年)、「Chura Liya Hai Tumne」(2003年)などの映画や、多数のTVドラマに出演している。元クリケット選手としては、転身にもっとも成功した人物と言えるかもしれないが、クリケット以上の才能を発揮したとは言いがたい。
クリケット選手が俳優デビューする流れは、1970年代から始まったようだ。サリーム・ドゥッラーニーという選手が「Charitra」(1973年)に出演し、パルヴィーン・バービーと共演しているが、これが、俳優デビューしたクリケット選手の最初期の例と言えるようである。その後も、「Kabhi Ajnabi The」(1985年)に出演したサンディープ・パーティールやサイヤド・キルマーニーなどの選手がいるが、誰も俳優として大成しなかった。
このように、映画とクリケットの関係は実は複雑で、華々しい面だけではない。むしろ、映画とクリケットの相性は良くなかったと言える。インディアン・プレミア・リーグ(IPL)の開始によって、映画スターがクリケット・チームのオーナーになるという道が開けたことで、ようやく両巨頭がWin-Winの関係になれる場を見つけたと言えるだろう。