明石書店から2021年6月に刊行された「インドを旅する55章」は、同社が「エリアスタディーズ」としてシリーズ化している「~を知るための○○章」の新ラインである。今後、世界各国を「旅する○○章」が続刊されるのであろうか。その栄えある第1号の旅先にインドが選ばれたことは、長年インドに関わって来た身としてこの上ない喜びである。しかも、この本の中の1記事「デリー」について寄稿させていただく機会をいただけた。編者の宮本久義先生、そしてインド留学時代の戦友、小西公大君に感謝の気持ちを述べたい。
デリーは僕がもっとも愛する都市であり、そのデリーについて愛情を吐露する文章をこの本の中に差し込ませていただけたのは本当に嬉しい。しかも、「不思議都市」を取り扱った章のトップバッターである。
デリーと不思議都市!
インドを旅した者の何人が、デリーを不思議都市と捉えられるであろうか!僕自身も、デリーに11年以上住んだが、デリーの不思議都市としての魅力に気付いたのは、住み始めてから5年が経った後だった。自分自身のその経験に照らし合わせてみると、デリーに数年住んだだけでは、その真の魅力に気付かずに滞在を終える人が多いのではなかろうか。デリーのことを不思議都市とは考えもせず立ち去ることになるのが普通ではなかろうか。ましてや旅行者だ。そして、インドで不思議都市と言えば、普通はヴァーラーナスィーなどを筆頭として挙げるだろう。僕も、デリーに住み始めた当初は、デリーの外を旅行することに躍起になっていて、デリー自体を旅するというアイデアがあまり浮かばなかった。
だが、英国人作家ウィリアム・ダルリンプル著「City of Djinns」に出会ったことで、デリーを見る目が一変した。この本は、「精霊の街デリー」(凱風社)という邦訳があるものの、完訳ではないので、オリジナルの英語版を読むべきである。その後、歴史学者でデリー在住日本人の大先輩である荒松雄氏の一連の著作に触れ、読み漁ったことで、デリーに対する理解と愛情はさらに深まった。インド留学時代に一生懸命更新していた留学日記「これでインディア」に、「デリー散歩」と称して、暇があればデリーの大小様々な遺跡を巡り、デリーの遺構たちにストーリーを語らせる努力をしていた。
デリーは確かに不思議都市であった。密集する建築物、雑踏と渋滞、大都市特有の汚染に隠されているが、その中に深く分け入ってみると、そこだけ時の流れが淀んでいるような中世世界が今でも残っていた。デリーに関する深い知識と愛情がなければ到底到達できないそれらの場所は、まるで瓦礫の山の中で見つけた宝石のようだった。それらをひとつひとつ拾い集める行為は、この上ない悦楽を僕に与えてくれた。そして、ますますデリーが好きになった。
ウィリアム・ダルリンプルがデリーの真の魅力に気付いたのは、フィーローズ・シャー・コートラーを訪れたときだったと書かれている。僕も、デリーにはっきりと恋した日を鮮明に覚えている。それは2007年1月18日。デリー南郊のスルターン・ガーリーを訪れた際だ。スルターン・ガーリーは、デリー市街地からインディラー・ガーンディー国際空港に至るまでによく通るマヒパールプルのすぐ近くにある遺跡で、多くの日本人駐在員が住むヴァサント・ヴィハールやヴァサント・クンジから目と鼻の先だ。だが、ほとんどの人が知りもしないであろう。奴隷王朝を安定させたイルトゥトミシュ(在位1211-1236年)の息子ナスィールッディーン・メヘムードの墓廟である。奴隷王朝はトルコ系の王朝であり、この頃の墓廟もトルコ様式になっている。地表には偽の墓が置かれ、本物の墓は地下に安置される。この様式はムガル朝時代になっても引き継がれている。タージマハルにしても、地表にある墓は偽物で、本物は地下にある。
ナスィールッディーン・メヘムードは死後、聖者として信仰されるようになったようだ。イスラーム教において聖者が祀られるのは木曜日と決まっている。僕がスルターン・ガーリーを訪れたのもたまたま木曜日だった。タージマハルの地下墓室は観光客に閉ざされているが、スルターン・ガーリーの地下墓室には下りて行くことができた。そこでは、地元の人々によって祭祀が行われていた。暗闇の中、入口から強烈な一筋の光が差し込み、安置された墓石と、そこでうごめく信者たちの影を浮かび上がらせていた。インドでもっともモダンな都市の片隅で、このような呪術のような儀式が繰り返されていたとは!デリーに恋した瞬間だった。
不思議都市デリーについての原稿を依頼されたとき、真っ先に浮かんだのはスルターン・ガーリーだった。しかし、物事には順番がある。デリーについて何かを書くとき、必ず触れなければならない聖者がいる。それは13世紀から14世紀を生き、デリーに居を構えたニザームッディーン・アウリヤーである。デリー中部に位置するニザームッディーン廟は南アジア随一の聖地となっている。ヒンディー語映画「Bajrangi Bhaijaan」(2015年/邦題:バジュランギおじさんと小さな迷子)でも、パーキスターン人親子が願い事を叶えるためにわざわざ訪れる様子が描写されていた。僕もデリー在住時は事あるごとにニザームッディーン廟を参拝していた。デリーに住み、デリーを愛するようになると、自然とそうなるのである。よって、ニザームッディーンを差し置いて、スルターン・ガーリーのことを書くのは罰当たりに思えた。さらに、聖者ニザームッディーンと、トゥグラカーバード城塞を建造した皇帝ギヤースッディーン・トゥグラクとの確執の話は、デリーの遺構に隠された数あるエピソードの中でも特に面白く、そして有名である。散々迷ったが、定石通り、ニザームッディーンについて書くことに決めた。
おそらく、僕と同じレベルの知識と愛情を持ってデリーに接している人が同じ題目を与えられたら、同じことを書くのではないかと思う。よって、改めて読み返してみると、僕の記事にはあまり個性がないように感じる。デリーを愛する者として当然のことを書いたまでで、僕は単なる器のようなものだ。
「インドを旅する55章」には、日本のインド研究者たちがそれぞれ思い入れのある都市や事物について思い思いの筆を振るっている。一人称で書いている人も多く、とても臨場感がある。ここまで主観で書いていいと分かっていれば、僕も一人称で書いていたかもしれない。「不思議都市」として、デリーに加えて、コルカタ、シムラー、ゴア、コヒマなど、やはり普通は「不思議都市」として見なされない都市や地域の数々が取り上げられていることからも編集者の類い稀なセンスを感じる。ガヤー、マットゥール、バフチャラージー、サーサーラーム、バーンガル、ブーンディーなど、かなりマイナーな場所も紹介されている(自慢になるかもしれないが、ほとんど訪れたことのある場所だ!)。普通の旅行書ではないが、そもそも普通の旅行書であることを敢えて拒否するような本で、天邪鬼の多いインド研究者たちの本領が発揮された渾身の一冊に仕上がっている。
チベット仏教のマニ車は、1回まわせば1回お経を読んだことと同じになるとされる。「インドを旅する55章」は、一通り読めばインド全土を旅行したことになるような本だ。コロナ禍でなかなか海外に行けないこのご時世、自宅にいながらインドのパリクラマー(巡礼)ができる「インドを旅する55章」を、是非手に取って楽しんでいただきたい。