[dropcap]現[/dropcap]在インドは5年に1度の下院総選挙中であり、新聞は選挙関連記事ばかりだ。世界で最も多くの人口を抱える民主主義国の総選挙であるため、インドは随分前から「世界最大の選挙」を自称している。日本の選挙とは随分印象が異なり、まるでお祭りのようである。よくインド最大の祭りとしてクンブ・メーラーが紹介されるが、現代において最大の祭りは選挙だと言っても過言ではないだろう。
選挙期間中の記事は、どの政党がどれだけの議席を獲得するか、この選挙区ではどの立候補者が優勢か、などの分析が多くなり、いちいち新聞に目を通すのが億劫になる。だが、インド人の投票原理は所属するコミュニティーに密接に関連しており、選挙分析はそのまま複雑なインド社会の分析となることが多い。各地方の変わったコミュニティーの話を知ることが出来るのは、選挙期間中の新聞の醍醐味である。
さて、4月7日付けのタイムズ・オブ・インディア紙で、見慣れないコミュニティー名を目にした。「マニプル・タミル」(Manipur Tamils look for dream candidate)。マニプルとは、インド東北部、ミャンマーと接する場所にある州の名前である。インパール作戦で有名なインパールが州都で、モンゴロイド系の人々が住んでいる。一方、タミルとは、南インドのタミル・ナードゥ州に住む人々や、そこで話される言語の名前だ。距離にしたらこの2州は3,000km以上離れており、文化的にもこの2州は似ても似つかない。はて、「マニプル・タミル」とは一体何なのであろうか?
実はマニプル州のモレー(Moreh)という国境の町には、3,500人ほどのタミル人が住んでいる。彼らをマニプル・タミルと呼んでいる。彼らがマニプル州に住むようになった経緯はこうである。1960年代、ビルマ(現ミャンマー)でクーデターがあり、政情が不安定になったことがあった。英領下にあったビルマには19世紀後半から多数のインド人が移住しており、タミル人もいたが、この政変によってビルマを追われることになり、タミル・ナードゥ州に戻った。ところが、同州で彼らに用意された難民キャンプの環境は劣悪であった。そのため彼らはビルマに陸路で帰ろうとするが、国境で止められてしまう。以降、彼らは国境の町モレーに定住することになったと言う。モレーは現在人口3万人ほどのようで、マニプル・タミルの人口はその1割を占めることになる。かなりの数と言えるだろう。
記事によると、タミル人たちは南インド料理をモレーにもたらし、また彼らはマニプル州の地元料理も食べていると言う。タミル人の特にブラーフマン階級は菜食主義者のイメージがあり、インド東北地域の料理は肉料理のイメージがある。マニプル人が南インド料理を食べている様子はまだ想像できるが、タミル人がマニプル料理を食べている様子はちょっと想像できない。
個人的に気になるのは言語だ。マニプル・タミルたちはメイテイ語などのマニプル州の言語とタミル語の両方を話すのだろうか?定住から何十年も経っていれば、当然現地の言葉をかなり吸収しているだろう。そうすると、彼らはどんな言語を使っているのだろうか。タミル語はさすがに忘れていないと思うが、メイテイ語などから語彙を多数借用していることが予想される。この2つの言語の音韻はかなり異なると思うのだが、これらがうまく合わさっているのだろうか。
マニプル・タミルたちは地元のアウター・マニプル選挙区において選挙権を持っており、投票を楽しみにしていると言う。この選挙区の議席は指定部族に保留されているため、おそらくマニプル・タミルのコミュニティーに属する人間は立候補できないのではないかと思う。だが、彼らはよりよいモレーのために投票を行うようだ。