かぐや姫の思い出

[dropcap]長[/dropcap]年に渡って僕の勉学・研究・生活の場となっていたジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)の数ある特徴のひとつは言語教育であり、言語文学文化学部(School of Language, Literature and Culture Studies)では、インドの言語を含む、世界各国の言語とその文学を学ぶことができる。ちゃんと日本語学科(Centre for Japanese Studies)も存在する。日本語教育においては間違いなくインドのトップであり、日本語を上手に使いこなし仕事をしているインド人の多くはJNU卒である。

 JNUの日本語学科では毎年、日本をテーマにした「文化祭」が行われている。デリーで日本語を学ぶインド人学生たちによる日本語劇、生け花や折り紙のワークショップ、日本文化に関する展示、日本食が食べられる屋台など、盛況である。

 ただ、多くの学生は、日本語を学んでいると言っても、日本と直接接点がなかった人たちばかりであり、彼ら自身で「文化祭」を企画・運営するのは難しい。そこで、JNUに留学している日本人学生が何らかの形で支援をするのが常である。そもそも「文化祭」第1回の成功は、当時JNUに留学していた日本人留学生たちの尽力に依るところが大きく、それがその後恒例のイベントとなる上で決定的な原動力となった。

 僕もJNU在学中、「文化祭」に手助けをして来た日本人である。毎年様々な役割を任されたが、今でも強く印象に残っているのは、「かぐや姫」の舞台劇を指導したときのことだ。

 

 まずは原作に基づいて学生たちがある程度の脚本を決め、練習をしていた。その語学・演技指導を任されたときには、既にかなり形になっていた。

 だが、忘れられないのは、彼らが作り上げた「かぐや姫」の中での帝(みかど)登場シーンであった。かぐや姫の美しさを聞きつけた帝が、竹取の翁の家を訪ねて来るのだが、まるで隣家のおじさんが回覧板でも届けに来たかのように、一人でとぼとぼと竹取の翁の家まで徒歩でやって来て、門前で「ごめんくださ~い」と呼ぶのである。帝と言えば天皇陛下である。これはさすがにいかんだろうということで、帝登場シーンは、最初から帝が竹取の翁の家の中心に鎮座しているところから場面を始め、従者役も新たに加え、もっと帝らしく威厳を出させることにしたのだった。

 この劇の全体的な出来については、僕はあまりに内部に入り込み過ぎたので、客観的な評価ができない。だが、我田引水ながら、なかなかの完成度になったのではないかと思っている。

 あれから数年の歳月が過ぎ去った。日印関係もかなりの紆余曲折を経た。政権を握る政党や首相によって、外交政策もかなりの影響を受けることを思い知らされた。インドに住んでいる者の目にとって、日本の外交は、インド寄りかまたは中国寄りか、というほぼ二元論に近い状態に映る。中国との関係強化を望む人物が首相になると日印関係は冷え込み、インドに理解のある人物が首相になると日中関係は悪化するという、単純な繰り返しを見て来た。よって、僕の投票原理もしごく単純で、なるべく親インドの政治家や政党に投票するのみである。

 そして2013年12月現在。かつてないほど日印関係が緊密となっている。その反面、やっぱり日中関係は危機的な状態である。

 野田政権時代から多少インドとの関係改善が見られたのだが、昨年、自民党が政権復帰してから、そのスピードは一気に上がった。5月にはマンモーハン・スィン首相の訪印などもあったのだが、日印外交史の転機として後世まで記憶されることになるであろう大きな出来事が、11月30日から12月6日までの、天皇皇后両陛下インド訪問である。天皇陛下はまだ皇太子だった頃にインドを訪れており、デリーの文化人サロン、インディア・インターナショナル・センターの定礎式の主宰やタージ・マハル訪問などを行っている。今回はデリーとチェンナイを訪問されている。

 驚いたのが、天皇皇后両陛下のJNUご訪問であった。JNUと言えば、「レッド・キャンパス」の異名を持つ左翼の牙城。キャンパス内において、封建領主や封建主義は常日頃から目の敵とされている。さすがに天皇制反対を唱えるほど日本の政治に精通した共産主義者はJNUにはいないと思うが、天皇陛下と相性の良くない場所である。また、JNUでは7月にインド人学生が女子学生を斧で切りつけて重傷を負わせ、自殺するという凄惨な事件が起きている。そんなJNUによく来られたな、と驚いた訳である。おそらく、デリーで日本語教育が行われている現場を見てみたいとのご要望があったのだろう。そうした場合、デリーではやはりJNUが見学に最適な教育機関となる。

 そして、Facebookなどの情報によると、12月2日に本当に天皇皇后両陛下がJNUをご訪問されたとのことであった。写真を見てみると、いかにもJNUの教室といった感じの部屋(おそらく教室ではないだろう)で、天皇皇后両陛下が椅子にチョコンと座っている。その回りには日本語学科のよく知った顔ぶれが並んでいる。

天皇皇后両陛下JNUご訪問

 その写真を見て、かつて演技指導をした「かぐや姫」の帝登場シーンが思い出されて来た。あのときの学生たちよ、君たちは正しかった。本当に天皇陛下が、そこら辺のおじいさんか何かのように、気さくにJNUまで来てくれてしまった…。

 それはともかくとして、このご訪問はJNUの日本語学科にとってはかなりのインパクトをもたらしたのではないかと思う。韓国政府は外国の韓国語教育機関に多大な資金援助をしている。JNUには韓国語学科もあり、最近まで日本語学科と同じ学科であった。よって、JNU日本語学科の教授たちは、韓国語学科の教授たちを横目で見て羨ましく思っていたに違いない。なぜ日本政府は私たちを支援してくれないのか、と。それが今回、このような大きな幸運に恵まれた。日本人でもなかなか天皇皇后両陛下と間近に接する機会はないものだ。そして、何よりJNUで日本語を学ぶ学生たちの大きな励みとなったことだろう。

 そういえば、あのときかぐや姫を演じていた女の子は、現在日本で女優のような形で活躍している。いくつか日本のテレビ番組に出演している。彼女はあの頃から女優になりたいと言っていたが、日本でそれをある程度叶えてしまった。素晴らしいことである。

2013年12月5日 | カテゴリー : ブログ | 投稿者 : arukakat