[dropcap]イ[/dropcap]ンド映画が長年抱えている問題のひとつに検閲問題がある。日本に映画倫理委員会(映倫)があるように、インドにも映画の認証を行う組織があり、それが中央映画認証委員会(CBFC)である。映倫が任意団体であるのに対し、CBFCは中央政府情報放送省の下にある政府機関である。インドにおいては、CBFCから認証を受けなければ、いかなる映像作品(映画、テレビ番組、コマーシャルなど)も上映できない。映画上映前に数秒間、映画名や上映時間などが記された書類が映し出されるが、あれがCBFCの認証になる。
インドにおける認証制度は、しばしば表現の自由や創造性と激突して来た。性的描写や暴力描写は一貫して規制の対象となって来ているが、それに加えて他国ではあまり問題にならないような事柄についても、CBFCから指導が入ることがある。代表例が動物の使用である。動物愛護活動家の勢力が強いときには、極端なことを言えば、映画中に動物を使用できないということもあった。記憶にある中でその被害に遭ったのは「Rang De Basanti」(2006年)だ。タイトル曲「Rang De Basanti」が流れる場面で主演のアーミル・カーンが乗馬をするシーンがあったのだが、関係機関から必要な許可を受けていなかったということで、CBFCからカットを求められた。ただ、この極端な措置は一時的なもので、現在、動物を使ったシーンのある映画では冒頭に必ず「撮影中に動物を虐待しませんでした」などの注意書きが入る程度に留まっている。
現在とても厳しいのが喫煙シーンである。映画の冒頭には必ず喫煙者への警告を目的としたショートフィルムが上映されるし、映画中、少しでも喫煙している姿が出て来るシーンでは、「喫煙は健康に有害です」という注意書きが右下に入る。映画の創造性や作家性に対する重大な侵害だが、CBFCに逆らって上映を禁止されるのは得策ではなく、映画制作者は仕方なく指示に従っているのが現状だ。
また、CBFCは年齢認証の決定機関でもある。映画制作者にとって年齢認証は興行成績に少なからず影響を与える要素だ。年齢認証がU(全年齢対象)になるかA(18歳以上)になるかで、潜在的観客の母数が変わってしまう。Uの認証を受けるために問題のシーンをカットし、映画から毒を抜くか、それともA認証を甘受して映画の統合性を重視するか、など、年齢認証の上でしばしばプロデューサーや監督は決断を迫られる。
今話題になっているのは「罵詈雑言」である。今年1月にCBFCの会長に就任したばかりのペヘラージ・ニハーラーニーが、規制対象とする語句のリストを公表し、物議を醸している。
規制対象となる語句は英語とヒンディー語に大別されており、以下の通りである:
英語
- Bastard
- Son of a Bitch
- Masturbating
- Fuck, Fucker or Fucking
- Mother fucker
- Fucking cunt
- Cock sucker
- Fucking dick
- Screw
- Dick
- Asshole
- Bitch or Fucking Bitch
- Pussy
ヒンディー語
- Haramzada/ Bastard
- Harami, haram Ka Pilla, haram ka jana
- Bhadwa / Dalla
- Madarchod
- Bhenchod
- Bhonsdike
- Gandu
- Chutia
- Kutia, Raand, Randi, Bitch, Rakhail & Saali
- Certain abusive terms (related to sex / when used in sexual terms) “Maarna” “Lena” “Dena” “Phatna” etc.
- Violence against womans
- Bloodshed should not be glorified.
- Change of name Bombay to Mumbai as per Govt of Maharashtra’s notification dated 4/9/96
- Double meaning any kind of words.
「罵詈雑言」を規制すべきか否かについての議論は置いておいて、リストに挙がっている語句の検証をして行きたい。見ると英語は13項目、ヒンディー語は15項目あるが、実際にはヒンディー語の8番が手違いのためか抜けている上に、12番以下は特定の語句を示したものではないため、23項目前後とすることができる。とは言っても、複数の語句がまとめられている項目もあり、細かく見て行くと重複している語句もあるので、それらをひっくるめて考えると、30語句前後が規制対象になっていると考えることができる。書面は以下の通りである:
英語の表の方も雑多なのだが、ヒンディー語の表の方はさらにカオスな印象を受ける。例えば1番と2番はハラーム(不義密通)系の語句だが、ひとつの項目にまとめることができたはずだ。また、1番に英語の「Bastard」が入っているのはおかしい。3番は「ポン引き」系の語句で、これはひとつにまとまっていていいだろう。4-9番は特に問題なし。ただ、5番と6番は「チョード(犯す)」系の語句として一項目にまとめることもできた。10番は「売春婦」「妾」系の、女性に特化した罵詈雑言だ。やはり英語の「bitch」は入れなくていいだろう。
11番にはいくつかの動詞が挙がっているが、これらは通常の文脈でも頻繁に使われるものばかりで、これらが禁止されるとヒンディー語の会話は成り立たなくなってしまう。問題としているのは、これらの動詞が性的な意味で使われるときだ。「マールナー(maarna)」は「叩く」「殺す」などを意味する動詞だが、「犯す」という意味にもなる。「レーナー(lena)」「デーナー(dena)」についても、原義はそれぞれ「取る」「与える」だが、性的文脈で使われることがある。「パトナー(phatna)」については、「破裂する」という意味であるが、これが性的意味で使われるはっきりとした文脈は不明である。「射精する」の隠語であろうか。どちらかというとこの言葉は若者の間で「臆病風に吹かれる」というようなニュアンスで使われることが多い。
12番と13番は語句ではない。女性に対する暴力と殺人の美化を禁止するということだ。14番はムンバイーを旧名のボンベイで呼ぶな、ということであろうが、英領時代の名称が変更になった都市は他にも数多くあり、ムンバイーだけを取り上げるのは疑問符が付く。
一番問題なのは15番だ。ダブルミーニングを禁止するとのことである。つまり、一見すると性的な言葉ではないが、性的な意味が掛けられているような言葉ということであろう。インド映画の台詞や歌詞ではダブルミーニングがよく使われる。確かに性的なニュアンスを含むダブルミーニングは多く、特に歌詞では、ストレートに表現できないような感情や行為をダブルミーニングを使ってほのめかすのは常套手段だ。しかし、そもそもダブルミーニングの文化は検閲を避けるために発展して来たものであり、ダブルミーニングまで規制し出したら、何もできなくなってしまわないだろうか。
また、ヒンディー語の罵詈雑言はこれだけに留まらない。仮にCBFCの思惑通りに事が運ぶとして、これだけでは中途半端だ、不十分だ、という声は当然出て来るだろう。その際、いちいちリストを増やして行くつもりであろうか。
例えば女性に対する罵詈雑言「サーリー(saali)」が禁止されているが、その男性形である「サーラー(saala)」はリストアップされていない。「サーラー」は、「サーリー」以上に日常的に使われる罵詈雑言であり、「サーリー」が禁止されるなら、「サーラー」も禁止されないと釣り合いが取れない。
英語で「bastard」が禁止されている。そのヒンディー語訳としては、上述の「サーラー」も当てはまるのだが、「カミーナー(kamina)」という単語もある。やはり、これも禁止することを考慮しなければならないだろう。ところが、この言葉は既に映画の題名になってしまった。「Kaminey」(2009年)である。一体どうするのか。「これを禁止するなら、こっちも禁止しないとおかしい」という例は他にもあり、最終的にリストアップされる語句は膨大なものとなって行くだろう。
ただ、最近のヒンディー語映画では、台詞が写実志向になって来たこともあって、罵詈雑言の類が増えて来たことが気になっていたのは確かだ。例えば、僕が映画で初めて「チューティヤー(chutia)」という言葉を聞いたのは「Omkara」(2006年)だと記憶している。そのときは非常にショックを受けたものだ。この言葉は、日本語の「馬鹿」や「阿呆」とは比べ物にならないほど悪い言葉である。ところが、今ではタガが外れたのか、この言葉が発せられる機会はとても増えた。女性キャラまでもが口にしている。行き過ぎてはいないかと言う声が出て来るのは当然で、これは映画業界内で大いに議論すべき問題であろう。