[dropcap]ハ[/dropcap]リヤーナー州政府が4月12日に突然、グルガーオン(Gurgaon)をグルグラーム(Gurugram)に改名すると発表した。
グルガーオンはデリー南郊にある衛星都市のひとつで、ショッピングモールや多国籍企業のオフィスが建ち並ぶ、21世紀のインド高度経済成長の象徴である。「ミレニアム・シティー」の愛称を持つ。日系企業のオフィスや日本人在住者も多い。多くの住民にとって、この報道は寝耳に水だったであろう。
グルガーオンの「グル」とは精製前の砂糖のことで、「ガーオン」は村であるから、「グルガーオン」は「粗糖の村」という意味である。その名称から、かつてはサトウキビ畑が広がる牧歌的な農村であったことがうかがわれる。しかし、どうやらグルガーオンの名前の由来はサトウキビや粗糖とは無関係であるらしい。
グルガーオンにあるデリー・メトロ駅のひとつにグル・ドローナーチャーリヤ駅(Guru Dronacharya Metro Station)がある。この長ったらしい名前は、現地語を解しない外国人にとってアンフレンドリー極まりない。最近、航空会社インディゴ(IndiGo)がこの駅の命名権を買い取ったため、駅の名前はインディゴ・グル・ドローナーチャーリヤ駅と、さらに長くなった。
このグル・ドローナーチャーリヤこそが、グルガーオンの名称の由来であると言う。グル・ドローナーチャーリヤは人物名である。冒頭の「グル」は導師、師匠などと訳され、語末の「アーチャーリヤ」も師匠を意味する。もっとも短い呼称は「ドローナ」だ。
ドローナは、叙事詩「マハーバーラタ」に出て来る英雄の一人で、主人公パーンダヴァ5兄弟らに教育を施した師匠だ。ドローナのアーシュラム(道場)がこの地にあったとされており、グルガーオンは「グル(師匠)の村」に由来すると言うのである。もしくは、ドローナがグルダクシナー(師匠へのお礼)として王族から下賜された村がここにあったとされる。それが時代の流れの中で、「グル(guru=師匠)」が「グル(gur=粗糖)」に置き換わったというのがひとつの説だ。なお、グルグラームの「グラーム」は同じく村を意味する。サンスクリット語の語彙であり、この「グラーム」が訛って「ガーオン」になった。さらに訛って「グルガーワー(Gurgawa)」と呼ぶ人もいる。
インドでは90年代から、各地の都市名を、植民地時代に英国人によって付けられた呼称から、現地語の呼称に戻す動きが盛んである。この動きの中で、ボンベイ(Bombay)がムンバイー(Mumbai)になり、カルカッタ(Calcutta)がコールカーター/コルカタ(Kolkata)になり、マドラス(Madras)がチェンナイ(Chennai)になった。最近ではバンガロール(Bangalore)がベンガルール(Bengaluru)に改名された。
しかしながら、「グルガーオン→グルグラーム」の動きは、上記の一連の改名とは異なっている。確かに上記の都市は現地語では改名前からムンバイー、コルカタ、チェンナイなどと呼ばれていたのだが、グルガーオンは決して現地の人々から「グルグラーム」と呼ばれていた訳ではない。むしろ、「グルガーオン」の方が現地語であり、「グルグラーム」への改名は、かつて英国人が自分たちの発音しやすいように都市名を名付けた動きに逆行するものである。
昨年、デリーのアウラングゼーブ・ロード(Aurangzeb Road)がAPJアブドゥル・カラーム・ロード(APJ Abdul Kalam Road)に改名された。アウラングゼーブはムガル朝第6代皇帝で、一般的な認識では、偏屈なイスラーム教至上主義政策を採ったとされている。一方のAPJアブドゥル・カラームは、インドのミサイル開発に多大な寄与をしたイスラーム教徒の科学者で、2002年から2007年まで大統領を務めた人物である。歴代の大統領の中でもっとも高い人気を誇っている。昨年7月27日に死去し、それを受けての改名だった。
宗教という観点から見れば、中世のイスラーム教徒為政者の名前が付いた道路を、現代のイスラーム教徒偉人の名前で置き換えただけだ。それでも、この改名の意義については疑問の声も多かった。折しもヒンドゥー教至上主義の政党が中央政府を握っている中で、ヒンドゥー教徒に厳しい政策を採ったとされるアウラングゼーブの名前を抹消するような動きは、「不寛容」の一端として捉えられることもあった。また、歴史学者の間では、アウラングゼーブが決して非イスラーム教徒に不寛容な政策を採った為政者ではないということが言われている。
「グルガーオン→グルグラーム」の改名については、そのような宗教色は薄い。それでも、改名の意義が不明瞭という点では、「アウラングゼーブ・ロード→APJアブドゥル・カラーム・ロード」と共通した疑問を感じる。植民地時代の負の遺産を払拭するという意義を越えて、中世の「ヒンドゥー教徒にとって受難の時代」を塗り替えたり、栄光の叙事詩時代・神話時代にまで回帰したりするという、超復古主義的な改名が今後もまかり通るならば、やがて照準は首都デリーにまで合わせられるだろう。
「デリー」は、植民地時代に定着した英語表記「Delhi」を音写したカタカナ表記であるが、ヒンディー語では「ディッリー(Dilli)」と呼ばれている。「ディッリー」の由来については諸説あるが、13世紀以降、デリーでイスラーム政権が樹立した後に、イスラーム教徒支配者たちの話す言語(主にペルシア語)の音韻に適した形で訛り定着した地名であることは確かだ。この地域は神話時代には「インドラプラスタ(Indraprastha)」と呼ばれていたとされる。
もしデリーが将来改名されるならば、「グルガーオン→グルグラーム」や「アウラングゼーブ・ロード→APJアブドゥル・カラーム・ロード」の例を踏まえると、「デリー→ディッリー」のような生やさしいものではなく、一気に「デリー→インドラプラスタ」となるであろう。グルグラームとなったグルガーオンを見て、その日はそんなに遠くないと思うようになった。