[dropcap]2[/dropcap]012年12月16日のデリー集団強姦事件以来、デリーは「レイプ首都(Rape Capital)」という不名誉な名前で呼ばれることになってしまった。この事件は日本でも大々的に報道されたし、その後日本のメディアがインドの強姦事件を執拗に取り上げるようになったこともあって、インドを訪れたことのない日本人から、インドの治安に関して質問されることが増えた。残念なことである。
最近の新聞にもそれを裏付けるニュースが載っていた(参照)。英連邦人権イニシアチブ(CHRI)の報告書によると、2001年から2013年までの13年間でインドの年間強姦事件発生件数は16,075件から33,707件に倍増した。現在インドでは30分ごとに1件の強姦事件が発生している計算になり、特にデリーでの強姦事件発生件数増加率はインド最悪の329%に達した。「レイプ首都」の面目躍如たる数字である。
ただし、デリー集団強姦事件を受けて、2013年4月に改正刑事法(Criminal Amendment Act 2013)が施行され、「強姦」の解釈拡大や厳罰化が行われたため、強姦に分類される事件の件数が増えたという理由もその急増の裏にはあるようである。とにかく、このようなデータが示されている限り、インド旅行を望みながらインドの治安を心配する日本人(特に女性)に対して、手放しで「インドは安全ですよ」とは言えないのがもどかしいところだ。
ところが、7月29日から8月1日にかけてザ・ヒンドゥー紙に連載された、デリーの強姦事件を分析したレポートは、「レイプ首都」の異なった実態を明らかにしており、興味深い。ルクミニーSという女性記者の記事で、以下の3部構成となっている。
- The many shades of rape cases in Delhi
- Young love oftern reported as rape in our ‘cruel society’
- Rape cases: Scripted FIRs fail court test
これらは、2013年にデリーの6つの地方裁判所で審理された全ての性的暴行事件を詳細に分析した上で書かれている。さらに、各事件に関わった裁判官、検察官、警察官、原告、被告、彼らの家族、女権活動家、弁護士のインタビューも行っている。調査には半年の期間を費やしており、信頼に足るレポートであることが分かる。
まず、国家犯罪記録局(NCRB)のデータによると、2013年にデリーの警察署に提出された性的暴行事件の初動調査報告書(FIR)は1,636件とのことである。しかしながら、同じ年にデリーの地方裁判所で審理された性的暴行事件の件数は583件となっている。警察に提出された被害届の数と、実際に事件として扱われて裁判所まで行った事件の数に開きがあるのはおかしくないだろう。また、地方裁判所より上の高等裁判所や最高裁判所で審理された性的暴行事件については対象外である。インドでは警察沙汰にならない「泣き寝入り」型の強姦事件が多いことは前々から指摘されているが、当然ながらそれらもこのデータには含まれない。よって、今回のデータと分析は上述の583件が母数となっている。
デリー地方裁判所で審理された583件の内、およそ5分の1を占める123件は、判決まで至らずに終わってしまったと言う。その理由は、原告が裁判に現れなくなったり、行方不明になったり、訴えを取り下げたりするからである。原告の女性に強姦の訴えを取り下げるように圧力が掛かったというケースがいくつかあるようだが、権力を持った被告側による圧力と言うよりもむしろ、原告自身の両親、近親者、またはコミュニティーの一員からの圧力であるらしい。家族やコミュニティーの面子を守るためであろうか。しかしながら、大半のケースは、金目当てや、財産を巡る紛争がこじれた末の偽の強姦親告だったことが捜査の結果判明し、裁判が自然消滅するというパターンのようだ。当然、原告側に起因する理由で判決まで至らなかった場合、被告は無罪放免となる。
判決まで至った事件は460件。その内で最大となる40%以上を占める174件は、駆け落ちした若いカップルに関するものである。異なる宗教やカーストの男女による駆け落ち婚が大半を占め、インド特有の事情が見え隠れする。両親などに結婚を認めてもらえずに駆け落ち結婚をし、同意の上での性的交渉があった後、両親などに見つかって引き離され、多くの場合女性側の両親が勝手に男性を誘拐と強姦の罪で訴えるというのが典型的な流れになっている。この内の107件は、最終的に原告と被告が公式に結婚して落着となったと言う。なぜなら2人は元々愛し合っており、同意の上での性的交渉があったのみで、そもそも「強姦」ではないからである。これを事件化したのは周囲の大人たちだ。ただ、女性がまだ未成年(18歳以下)であるケースが多く、その場合、男性は未成年との性行為という罪で刑罰を科せられることになる。2013年4月に改正刑事法が施行される前はこのようなケースでは男性に1週間の禁固刑など軽微な罰を科すだけで済んだが、改正後は厳罰化され、そうでもなくなっているようである。どちらにしろ、駆け落ちに代表される、同意の上での性的交渉が「強姦」事件として裁判所まで来た場合、それだけで被告が罰せられることは稀のようだ。
判決まで至った460件の内のおよそ25%を占める109件は、婚約破棄に関するものである。つまり、将来の結婚を約束して恋仲にある男性と性的関係を結んだ後、その約束が反故にされ、女性がその男性を強姦で訴えるというものである。法律上は男性側が不利になるが、もし原告の女性が一定の教育を受けている場合、被告が有罪になる可能性は低くなるようである。ただし、男性が既婚でそれを隠していたり、偽装結婚が立証されたりした場合は、有罪となっている。しかしながら、女権活動家ですら、婚約破棄に関するケースを「強姦」と呼ぶことには反対しており、最近は裁判所も有罪判決に消極的になっている。
残った162件、判決まで至った事件の内の35%が、世間一般で言われる「強姦」に当たる事件である。しかも、その内の111件が近所の人間や知り合いによる犯行、30件が被害者と同居する家族による犯行、9件が人身売買や売春関連のもので、外国人女性旅行者が最も気にする、見知らぬ者による行きずりの強姦事件は12件のみであった。また、最も件数が多い、近所の人間や知り合いによる犯行の大半は、スラム街において男性が未成年の子供に性的暴力を行うと言ったケースだったと言う。当然、これらの裁判では被告が有罪になることがほとんどである。原告の供述が二転三転したり、医学的な証拠が欠けていたりした場合のみ、被告が無罪となることがあるようだ。
以上、見て来たのはデリーの場合であるが、おそらく全国的な傾向もそう変わらないのではないかと感じる。つまり、どう少なく見積もっても、インドのレイプ件数として上がって来ている数字の内の半分以上は、日本または世界の基準に照らし合わせて考えてみると、「強姦」には分類されない種類のものなのである。今回のザ・ヒンドゥー紙の記事のおかげで、デリーに関してはそれがはっきりと言えるようになった。また、「強姦」と聞いて一般的に思い浮かべるような、見知らぬ者による行きずりの犯行――例えばデリー集団強姦事件――は、実はそんなに多くないことが分かる。デリーに限って言えば1ヶ月に1件の割合だ。もちろん、これを多いと見るか少ないと見るかは、各人の主観に依るだろう。
この件から分かるもうひとつの重要な事実は、強姦事件における有罪判決率(Conviction Rate)の低さの理由である。2013年、強姦事件に関してインド全国の有罪判決率は27%であった。つまり、強姦容疑で裁判に掛けられた容疑者の内の4人に3人は無罪放免となっている。この数字は、インドの司法や警察の機能不全を槍玉に上げる際によく使われるのだが、インドの強姦事件の実態を見た場合、むしろ正当な数字であると分かる。
これらのデータが、インドの名誉を挽回し、デリーの「レイプ首都」汚名返上につながれば幸いである。